毒親育ちと海外

今までずっと、自分が小さいころから海外に興味があったことを不思議だと思ったことはなかった。

「英語」との出会いは、まだ幼児のころに家にあった「ABCの本」だった。「A」と「りんご(Apple)の絵」が並んでいるようなものだ。これがあったから、私はひらがなと同じくらい最初からアルファベットが読めたし、それで海外に興味があるのだと思っていた。

でも、ABCの本を持っていた子が全員海外に興味が出るかといえば、否だ。多くの子供たちは、ただ日本で楽しく暮らしていくことになるなずだ。

それに、ごくごく最近になって気づいた。そしてなんとなく理由がわかってきた。

解毒ノススメ」で書いている通り、私の両親は毒親だ。それに気づいていたからこそ、親から逃げて自由になりたい、親を作り上げている社会そのものから逃げて自由になりたい、そう思って海外へ出る人というのは多いのだとカウンセラーも言っていた。まさにそれだと思う。

昔から、日本のやりかたやものの考えかたに賛成できないところがいくつもあった。それというのはけっきょく、毒親のやりかたや考えかたと同じものに賛成ができないということだった。

例えば、女性に対する考えかた。日本では、太めの女性が体型の出る服を着ていると「みっともない」と言われれる。でも男性は太っていようとハゲていようと、別に隠したりせず堂々としてていい。

女性が高いヒールをはいていると、「脚がきれいに見えるからそれいいよ」とわざわざほめられる。でも男性に対しては、背が高く見えるような靴をはけと勧めたりすることはない。

女性がおしゃれをすると「男のためだ」と思われ、短いスカートをはけば「痴漢を誘っている」と思われる。おしゃれは男性のためにするものだという考えがあって、自分が好きな服を着たり、自分がしたいおしゃれをするということが理解されない。

女性は化粧をしてきれいにしていることを要求されるし、また「要求されている間が花なんだ」という考えだったりする。女性は「男にどう思われるか」が勝負であり、だから「彼氏がほしいもの」「みんな結婚したいと思うもの」と思われており、どれだけ仕事で成功していても結婚していないと「まだ最終ステップが欠けている」と思われる。

そして男性にはそんなもののすべてがなく、自由だ。

こういう勝手な押しつけが、私は嫌いだった。それは、毒親のもとで勝手な押しつけを受けて生きてきたからだった。毒親と同じことをしてくる人が刺さってしまうのは、しかたがなかった。だから毒親的な日本の社会が嫌いだった。

実際海外に来てみると、似たような人がものすごく多いことに気づいた。「日本を出たくて」「海外が好きで」と言う人に話を聞いてみると、かなりの確立で家族になにかある人がいる。もちろん、普通にただただ仕事や結婚、勉強、ただの興味でこちらに来る人もいるけれど。

当時はまだそんなことわかっていなかったけど、自分はなんとなく日本が嫌いで、海外に興味があると思っていた。でもそれで十分だった。

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はじめに

私がはじめてイギリスに来たのは、大学2年の春休み。

初めての海外、初めての一人旅、初めての国際線、初めてのホームステイ、初めてのパスポート。なにもかもが初めてづくしだった。今思うと、ものすごい勇者だ。あんなになんっっっっにも知らなくて、よく一人で出かけたなと思う。若いって恐ろしい。

なぜイギリスだったかというと、語学学校で英語を習いたかった。英語を習うなら、英国だろうと思ったのだ。

小さいころからずっと、海外に憧れがあった。高校生くらいまでは、漠然とニューヨークに興味があった。マイケル・J・フォックスの「摩天楼はバラ色に」を見たからだ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」も好きだったし、「インディ・ジョーンズ」も大好きだった。英語が話せるようになりたかった。

でも銃のある国は怖かったし、大自然にも南半球にも興味がなかった。大学生になるころには、ドイツやロシアなどヨーロッパに憧れが出てきた。寒い中に建つ家々がかわいくて、おとぎ話のような国。町に宿屋や教会があって、ドラクエの世界のようなところ。そんなところで旅人になってみたかった。

何十年前に親戚の誰かが使ったという小くて重いスーツケースに、入りきらないほどの荷物を詰めて、成田から飛び立った。

それからン年後の2006年。私はイギリスに移住することになった。